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最期の光景

2022.03.11
高畑龍一

死にかかったことが一度ある。モンゴルで開催されるラリーにバイクで出ようとしたら、「オフロード未経験者がいきなり走るのは危険。少し練習した方がいい」と主催者に言われた。そこで、その道の先生を紹介してもらい、群馬の山の中を走っていた時のことだ。先生のすぐ後ろについて動作を真似すると、そこそこ走れた。「オンロードとそれほど変わらないな」と呑気に考えていたが、しばらくして差し掛かったカーブでいきなり曲がらない。アッと言うまもなく路肩の雑草に乗り上げた。そして道を外れた。

「これは死んだかも」と思ったのは、時間の流れが突然スローになったからだ。「落下する時はどういう体勢がいいのか」「枝がシールドを突き破ってくるかもしれないから、顎を引いてシールドを下向きにした方がいいだろう」「ナックルガードを信じてハンドルは握ったままの方がいいだろう」などを考える時間がたっぷりあった。そうやって身構えた直後、木の幹や枝が体にバンバン当たって、着地。

まず気になったのは「自分は生きているのか」。死んではいないようだが、確信が持てない。次は「立てるのか」。左手をついて腰を上げると、すぐに立てた。ホッとして地面に散乱した荷物を拾い上げようとすると、右肩に激痛が走った。経験したことがない痛みだが、これで生きていることが実感できた。携帯電話が圏外だったので、コーヒーとタバコを探し出して、まずは一服。さて道に戻るには5mくらいの崖を登るしかない。両手で木の根っこなどを掴んでクライミングに挑み、途中激痛で頭がクラクラしながらも登頂に成功。そこでまた一服していると、地元の人のクルマが通りがかり、助けてもらえた。

向かった病院では「脱臼」との診断。Tシャツが触れるだけでも飛び上がるくらいに痛いと訴えると、「そりゃそうでしょう。骨折よりも回復に時間がかかるよ」とのこと。その後、警察官が登場し、「こんな時になんですが、現場検証につきあってください」と言う。現場までは1時間はかかるので、行きたくない、早く帰りたいと駄々をこねたが、「そういうことになっているので」と譲ってくれない。パトカーに乗る機会はそうそうないからと自分に言い聞かせて、白黒のクラウンの後部座席に収まった。

山に入ると、「見てください。この道沿いはだいたい下の沢まで途中に何にもないんです。そうそう、前に落ちた人は木に刺さっている姿で発見されましたよ」と恐ろしいことを言う。しばらくすると、電話で手配したレッカー屋が我がバイクを引き上げているのが見えてきた。後日分かったことだが、あれだけのクラッシュなのに、ウィンカーステーやシートレールが曲がったくらいで、エンジン周りやフレームは全く問題なし。さすがKTMだ。「着きました」と警察官が言い、崖の下を指さして「ほら、ここだけ途中に出っ張りがあるでしょう。ちょうどここに落ちたから命拾いできたんですよ。良かったですね」と褒めてくれた。数十メートルずれていたら串刺しの刑だったわけだと返すと、「そうかもしれませんね」と明るく笑った。

いまこうしていられるのは、あの時に落ちた場所が良くて、落下した時の体勢も良かったからだ。前者は全くの運で選択の余地はなかった。後者は自ら選択したが、正解だったのかどうか分からない。身構えた気になっていただけという可能性もある。それに、いま生きているのがいいことなのかどうかも分からない。死ぬ間際に分かるのかもしれない。もっと言えば、あの時から『マトリックス』状態になっている可能性もある。

一つ勘違いしていたことがある。ゆっくりと時間が流れたこと自体は「臨死体験」ではなかった。「臨死体験」は、生死の間に記憶が呼び起こされたり対外離脱したりすることだそうだ。

死の間際の「走馬灯」は実在する? 世界初の脳波詳細記録と臨死体験の研究史

https://www.newsweekjapan.jp/akane/2022/03/post-14.php

一方、交通事故などの危機的状況でゆっくりと時間が流れることはよくあり、これには「タキサイキア現象」という名前がつけられている。生命を維持することを最優先とすべく脳の情報処理能力が一時的に低下する現象で、視覚情報が間引かれてコマ送りのように見えるという仕組みだそうだ。

「危ない!」事故の瞬間“スローモーション” 千葉大・一川教授らが仕組み解明 研究成果の応用に期待

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/326869

11年前の被災者は最期に何を見たのだろうか。

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