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フラメンコと炭坑節

2023.12.07
貝塚由香

フラメンコにハマっている。始めたきっかけは、当時人気沸騰中の女優、山口智子がやっているらしいとプチブームになったから、という単純なものである。けれど一筋縄ではいかないその魅力にハマった。

結婚後子どもを授かったとき、喜びに溢れつつも唯一心残りだったのが「フラメンコをいったんやめなければならないこと」であった。子育てに必死になりながらも心のどこかで常に「フラメンコやりたい」というモヤモヤを持ち続け、子どもが小学生になったとき、我慢できずにフラメンコ教室を探し始めた。たまたま子連れOK、主婦歓迎の教室に出会い、そこに通ってはや10年。フラメンコ歴は通算13年となり、わたしの中では死ぬまで続けたいライフワークとして重要な位置を占めている。

ちなみにこのフラメンコ、どうやら一般的にはあまり認知度が高くないようで、周りに話すとほぼ100%の確率で「フラダンス」とごちゃまぜに記憶されてしまう厄介なネーミングが困りもの。

毎度のごとくフラ「メンコ」、ハワイではなくスペインの踊りですと説明する。するとほぼ100%の確率で「ああ、バラをくわえて踊るやつね」と言われてしまう。ここでしっかりお伝えしておきたいのだが「バラなんかくわえません」。なんでも戦前にとあるオペラ歌手が「カルメン」の舞台でバラをくわえたあたりからそのイメージがついたらしいんだけど。まったくもう。

教室ではフラメンコを「踊り」として習っているが、厳密に言うとフラメンコは「舞踊」ではない。もし言語化するなら「ジプシーの歴史と文化そのもの」である。

フラメンコは迫害されたイスラム系少数民族のロマ族(いわゆるジプシー)が自らの悲哀を歌ったことが起源とされる(諸説あり)。流浪の民である彼らは、ギター一本と独特の節回しを持つ歌、そしてパルマ(手拍子)、踊りの掛け合いで12拍子という複雑なのリズムを刻みながら、やり場のない怒りや生きる喜びを表現する。それが彼らの癒しであり力であったのだろう。単体ではなくそれ自体が「フラメンコ」。後年それが体系化され、ひとつの芸術となって今に至るとされる。

フリルたっぷりの衣装をまとい、頭にはバラの花をつけ、釘のついたフラメンコシューズを履いて床を打ち鳴らしてリズムを刻みながら踊る。それだけでもハマるに充分な魅力があるが、わたしがフラメンコに憑りつかれ続ける大きな理由のひとつは「たどり着けないその奥深さ」だ。

フラメンコの衣装によく使われるフリルや水玉柄にもルーツがある。過去、ジプシーたちは貧しく、服は着の身着のまま。女性たちのスカートの裾はささくれてフリルのようになり、水玉のような泥はねだらけだったことからフラメンコを象徴するものとなったそうだ(諸説あり)。フラメンコに登場する衣装や小道具、そして歌われる歌もヒターノたちの生きざまを継承したものが多い。

ただの「踊り」にはない、そこはかとなく匂い立つ土臭い雰囲気。人でなければ出せない複雑なリズムの「揺れ」。小さなモチーフを組み合わせて歌と踊り、ギターとの絶妙な掛け合いで構成される一曲はすべて生演奏が基本だ。それはもうこのAI時代に考えられないほどアナログな文化である。ひとつとして同じものはない。

とはいえ、日本でフラメンコを習うわたしたちは知識ゼロからのスタートである。ジプシーの歴史なんか知らずに、なんとなく楽しそう、と気軽にフラメンコ教室の門を叩く。何も知らないドシロウトに即興のハードルは高すぎるため、当然決まった振り付けというものが存在し、踊りの基礎を教わっていく。最初は自分たちに耳なじみのない「12拍子」に慣れるのに必死だ。履きなれない釘付きのフラメンコシューズでリズムを打つのも大変。ジプシーのジの字も知らないまま、脳に身体に汗をかき踊る。

しかし徐々に、その難易度の高さや奥深さに驚くことが次々と起こり始める。予定調和が当然と思い込んで出た発表会で練習と違うギターを弾かれてフリーズしたり、歌われる予定だった曲の歌詞が違って「聞いてないよ」とパニクったりする。そうやって少しずつ「なんでこうなるの?」ともがき、ひとつずつフラメンコの歴史や成り立ちを知るうちに、じわじわと沼にハマっていくのだ。

そしてフラメンコのもうひとつの魅力は、「踊りとしてのフラメンコ」は形式的な美を良しとするバレエと違い、踊る人を選ばないことだ。細くても太っていても、子どもでも老人でも、男でも女でも、それぞれの良さを表現できる。踊りの中にひとりひとりの生きざまが見え、個性を活かせること、それが魅力である。たとえ歳を取って足が動かなくなったお婆さんでも、それはそれでその人に刻まれた人生がにじみ出てまた魅力となる。同じ振りつけを踊っても、その人の、その瞬間の個性が漏れ出てしまう、不思議な踊りなのだ。

そんな魅力あふれるフラメンコに憑りつかれているわたしは、自分を表現する手段として、なんとかフラメンコに染まりたいと思っている。身体能力がよろしくないのでいくら頑張ってもドシロウトの域は出られないのだが、表現のため踊る技術の習得はもちろん、その複雑怪奇なフラメンコのリズムを身体にしみこませたくて必死になってしまう。変則的なリズムに翻弄され、頭がこんがらがることも多々あるが、そこはアタックナンバーワンばりの根性で頑張るしかない。「苦しくったって~悲しくったって~教室の中なら~平気なの♪(平気じゃない!)」

ちなみにフラメンコの本場であるスペインの街、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラなどでは老人たちが歓談しながら、なんとなくテーブルを叩いてリズムを刻みはじめ、誰からともなく歌い出し、それにつられて踊りはじめるのが日常だそうだ。めちゃくちゃ憧れるなぁその空気。

 実は、日本は、フラメンコ人口がスペインに次いで第二位というフラメンコ大国。ボン・キュッ・ボンの西洋体形とはほど遠い立派な寸胴体形、テルマエ=ロマエでいうところの「平たい顔族」である日本人がなぜこんなにはるか遠くのフラメンコに魅力を感じるのか?それは日本にも通じる共通点があるからだ。

その共通点とはずばり「炭坑節」。主に日本の炭鉱地帯で歌われた伝統的な労働歌である。炭鉱の厳しい労働環境や労働者の生活が歌われたものだ。その歌詞やリズムは、地域ごとに異なるバリエーションがあり、各地域の特有の炭鉱文化を反映している。それが盆踊りに派生して各地の祭りで踊られたりしている。フラメンコと同じく炭坑節も「人々の歴史と文化そのもの」だ。

実はフラメンコも踊られる地域によって特徴がある。炭鉱哀歌のようなものもあれば、海に出る漁師を励ます明るい舟歌もある。自由な節で喜びや悲哀を歌う炭坑節は非常に似ている。

炭坑節に限らず庶民は苦しいときに歌を歌い、踊ってそれを力にした。それはテレビもない、ラジオもない時代の先人の智慧である。その超アナログで根源的な「人間をエンパワーする手段」を、わたしはフラメンコを通じて享受しているのかもしれないと思う今日この頃である。

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