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一万円の価値がある厄払い

2024.02.05
中島嘉一

2024年は数年前から意識してきた年、私のミドルエイジ的な厄年である。毎年の初詣のたびに「あと〇年か」と勝手にカウントダウンしてきた。神社の看板には「十分な注意が必要な一年」と書かれている。年初から気合をいれるべく、満を持して由緒正しき近所の神社に厄払い依頼の電話をした。1月6日のことだった。

電話にでた巫女と思しき女性に出鼻をくじかれた。

「厄払いは一万円以上からになります」

「いや、ホームページには五千円と書いてありましたが」

「いえいえ、一万円からなんです」

なんということだ。ホームページの情報アップデートを怠っている。しかも「申し訳ありません」の一言もない。これはサービスとしていかがなものか。腑に落ちないまま行って、お祓いをしていただいたのだが、その時間はたったの5分。

そんな愚痴を新年に社内メンバーに話したら「そもそも費用対効果という言葉が出ること自体お祓い依頼者として終わっている」という酷評を受けた。彼女曰く「お祓いはサービスではない」。「御礼」は何かの対価ではなく、もっと崇高なもの…「気持ちのカタマリ」とのこと。それも神様に捧げるものということらしい。

お金と宗教の関係は難しい。新興宗教にのめり込んで大金を払うという現象も世間を賑わせるが、それも(はっきりとは自覚していないかもしれないが)何かしらのコスパを考えてるのかもしれない。例えば病気になる=自分にとっては1,000万円の損。300万円の壺でそれが回避…少なくともリスクが半減するなら得ではないか(300万円<500万円)という思考。

さきほど学んだばかりではあるが、そもそも損得勘定で宗教にすがること自体が間違っているのだろう。たしかにリスクは自分でマネージすべきだ。病気が怖ければ保険に入ればよい。事故が怖ければ車に乗らなければよい。

宗教は「世界を愛で満たす」とか「宇宙の心理に近づく」とか、個人の損得を超えた崇高なものを目指す世界だと思う。だから自分の生活はどうあれ、教会やお寺に寄付する人がいる。

となると、冒頭の疑問は「私が払う一万円は世界平和に役立つか」というような問いであるべきだった。すなわちその神社が何を目指しているのか、それに自分が共感できるのかということを確認しなかったことによる違和感だったのかもしれない。世界の平和に役立つのであれば、一万円とは言わず十万円でも喜んで差し出す。

これは私たちが主張しているブランディングと同じ。神社の思想が見えず、神社と自分との接点がわからないと「一万円は高い」と思ってしまうように、会社の思想が見えないと値切られ続けるのである。

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