WBCに盛り上がる昨今。天邪鬼はいつもいるものだ。
サッカーW杯22年大会を思い切り楽しんだ身として、その理由を並べてみる。
① 阿波踊りを踊れる
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃソンソン」の阿波踊り。二拍子の踊りは珍しく、実は難しい。祭りは参加した方が楽しい。世界の美技を一度に堪能できるなら楽しまない手ははい。
② シンプル
たまに、複雑化して仕事をした気になる人がいるが、それは違う。単純化が仕事だ。すべてのドラマはギリシャ悲劇に集約される。サッカーはシンプルだ。W杯中継翌日、道端でボールを蹴る親子を見てうれしくなる性分。
③ 熱狂と冷静の絶妙な匙加減
攻守が明確な野球は日本人のサムライ気質に実は合っているのだと思う。が、一瞬で攻守が切り替わり1分で点が入る45分の集中と、お手洗いやビール調達のハーフタイム。このメリハリがいい。
④ マーケティングとブランディング
プロが集まり、国家代表でゲームをする。選手は自らを、協賛社は衣食住に亘る関連グッズをブランディングし、市場価値を向上する。プロだから、いっそ潔い。22年大会、日本の最終戦で泣き崩れた選手のリブランディングの勢いのすごさといったら!
⑤ かっこいい
友だちに聞いたところ、「タイプの顔だからでしょ」と返された。
否定はしないが、それだけではないと主張したい。自分よりガタイのいい連中に突っ込んでボールを奪う。奪いきるまで何度も倒れては起き上がる。俯瞰したようにピッチを走る。ストライカーではない。地味だ。自分の役割を全うしてチームを勝たせる。文化の違うチームの主将を務める。4年前ベンチ止まりだった宿題を今大会で返す有言実行。ほら、かっこいいじゃない。私にはできないもの。
⑥ 熱狂は五感を磨く
熱狂は思考を停めるか?停止して行きつくところまで行く人もいれば、停まる人もいる。多様でいい。「一丸となって」は嫌いだ。そもそも応援している時点で同じ方向を向いているのだから、そこから先は自由にさせてくれ。アイスを食べようがたこ焼きを食べようが、お腹を壊そうが、いいじゃない。
刺激は感度を磨く。文化国家レベルとはブランド品の多寡や入場料の高さを量るものではない。心の振れ幅の大きさのような気がしている。いかに喜べるか、悲しめるか、共感できるか、異を唱えられるか。自分にとって適当な祭りに出会えると、五感は磨かれる。思考は停止しない。
※刺激にも程度はあるので誤解なきよう。
こんなことをいちいち考えてゲームを見ているわけではありません。たかがゲーム、されどゲーム。それだけ。