COSPA technologies

コバエに魅せられて

2023.01.23
池田有里

風光明媚と言われる横浜でもやはり冬は寒い。そしてそんな寒い冬でも、我が家は今コバエが大発生している。これも温暖化の影響か?
しばらくは原因が分からなかったが、ふと入った配偶者の部屋で判明した。カブトムシの幼虫が就寝しているケースの中でコバエが大発生しているのだ。もちろん出てこないように不織布でガードしているが、何しろ相手はコバエ。ほんのスキマから漏れるように部屋に出てきているようだ。これには温厚な私も激怒、すぐに「カブトムシ幼虫を山へ返すように!」と厳命したが、子どもたちはもちろん、すでに父性愛に目覚めている配偶者も反論。多勢に無勢で、結局は私が「朝夕の2回、バルコニーで幼虫ケースを空けてコバエを放出する」というタスクを負うことになり、現在に至っている。自宅勤務というのはこのような時不利益を被る。


初めは「数日成虫を放出すれば再生産サイクルが遮断されいなくなるであろう」と思っていた。これは相当甘かった。いなくなる気配が全くないのだ。そこで今度はケース上部の土を天日干しにし、成虫になる前に外に放出しようと試みた。そして「いなくなったかな」と観察すること数日、必然的に私はコバエの成長過程を知ることになった。
まずコバエは飛べるようになるまで数日を要すること。最初は土の中をモゴモゴ動くだけであり、そのうち羽を閉じたり開いたりして歩行距離が徐々に伸びてくる。その後ピョンピョン跳ねだし、晴れて成虫として飛び立つようだ。その期間、大体一週間程度。
最近では目視でコバエの卵も発見できるようになった。0.1ミリ程度の白い塊である。それが孵化直前になるとくねくね動き出し、いつの間にかにコバエ色(?)になってくる。たかがコバエ、されどコバエ。生命は神秘的だ。
しばらくこのコバエ撲滅プロジェクトに携わるうちに私の心境も変化してきた。面白い。毎日ワクワクしてコバエの世話(すでに世話である)をしている自分を、1ヶ月前には想像だにしなかった。これはどうしたことだろう。なぜ私はコバエごときに心を踊らされているのだろうか。
これは恐らく、フリクエンシーの力である。フリクエンシーとは直訳すると「頻度」、広告業界では接触頻度のことを指す。私はコバエに対しフリクエンシーレベルが高くなっていた。接触頻度が高ければ相手を観察する。理解が深まる。驚きがある。それが私をワクっとさせた。あろうことかコバエに愛着すら感じるようになってしまったのだ。それにしても相手はコバエ。フリクエンシーの力、恐るべし。


翻って広告の世界。広告の世界でもフリクエンシーレベルを上げて成果をだそうという試みは多数ある。リターゲティング広告(通称リタゲ)などはその代表例だ。ただし私はこの試みには否定的な意見を持っている。うっかりアクセスしたサイトの広告が私をどこまでも追いかけてくるのがウザい。仕事柄様々な意図で様々なサイトにアクセスするのだが、お陰で私のブラウザに表示される広告はすでに破滅的な人格者の様相を呈しており、心底うんざりしている。私ほどでなくても似たような広告が表示されることで「嫌だなあ」と思っている人は少なからずいるだろうし、「適当にネットサーフィン(死語?)するとまた変な広告に占拠されて嫌」という声すら聴く。フリクエンシーが愛着どころかむしろ人の嫌悪感を醸成しているという本末転倒な結果だろう。
では、なぜコバエのフリクエンシーは良くてリタゲのフリクエンシーはダメなのか。これは、リタゲのフリクエンシーには出稿者の意図が透けて見えるからかもしれない。「買って欲しい」「見て欲しい」という圧が鬱陶しく、かつそれが機械で自動化され表示されているというのも更に腹が立つ。浅い。浅すぎる。私はそんなに簡単な人間ではない。温厚ながらひねくれ者の私は「だまされるな」「その手に乗るか」と思わず身構えてしまう。我ながら素直ではないが、現代を生きる人はそれなりに理解してくれる感覚ではないかと思う。
片やコバエが再生産を繰り返すそのさまにはなんの意図もない。彼らは彼らの営みを精一杯繰り返しているだけだ。ある意味一途で自分勝手な生命の神秘は哲学的ですらある。学びがある。深い。マリアナ海溝よりも深い。よく考えれば、毎日観察はしていても私はまだコバエについて何も知らない。ここのところ寒い日が続いており、コバエの皆さんの生育もステイしているが、これは各個体の成長がステイしているのか、それともある程度大きくなった子はこの寒さで死に絶え、後続が成長してきているので一見してステイに見えるかは、まだ分かっていない。いずれにせよ、コバエの種保存戦略の一端に触れてその奥深さにうっかり魅せられてしまう。

世界のコミュニケーション技術、表現手法は加速度的に進化している。今回は「フリクエンシー」という観点からリタゲについて毒を吐いたが、最新マーケティング技術に関わらず、ネット戦略の中核的存在のコーポレートサイトについても同じだ。お客様は「買って欲しい」「見て欲しい」という圧を感じるや否や、そっぽを向いてしまう。我々が相手にするのは人間で、その人間とは合理的でなく、ひねくれていて一筋縄ではいかないのは自分自身を顧みても明らか。それよりは、自らの精一杯の営みを見せることで訪問者を魅せるほうが、ずっとコスパが良い。今日もモゾモゾと動くコバエを見ながら、そんなことをぼんやりと思う次第である。

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