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蛇の道を独り征く

2024.10.17
陳瑩

私が初めて日本を訪れたのは27年前の夏休み。その時私は中国安徽省に暮らす小学6年生でした。母は日本で働いていて、「夏休みにディズニーランドに遊びに来ない?」との誘いにもちろん二つ返事、ディズニーランドでの冒険に胸を膨らませ、1週間だけの予定で中国から日本へ旅立ちました。そしてその1週間が、27年以上にも及ぶ日本での生活の始まりでした。

私の体に日本の文化が染み込むまであっという間でした。言葉も自然と覚え、言葉だけではなく、どんどん習慣や生活スタイルも日本人らしくなっていくのが自分でも分かりました。朝食は納豆と味噌汁、鮭、ごはんのセットが理想。夜はゆっくりお風呂に浸かりたい。洋室よりも和室でのんびりするのが心地いい。そんなことが当たり前になり、今でもそんな日常を送っています。


その一方、中国にも親近感を覚える自分も当然存在します。中国市場向けのプロモーションを手がける仕事をしている関係で中国人の友達も増え、中国語を使う機会も飛躍的に増えました。彼らから教えてもらった「ガチ中華」のお店に行くたびに、やっぱり中華料理も大好きだなと実感。中国と日本、両方の文化が私の中で共存しているのが私です。

そんなこんなで私のアイデンティティは完全日本人という訳ではないし、完全中国人という訳でもない。日本文化が多めに影響しているマーブル、という認識です。

「日本文化の影響が多め」と感じたのは、最近中国語がまるで外国語のように感じられたこと。久しぶりに中国語で本を読もうとして開いた瞬間、文字がほとんど記号にしか見えなくなっていました。とても不思議な感覚。1文字ずつ読まなくては理解できず、かなり時間がかかり、気が付くと、脳内で常に日本語変換していました。

日本語で読書した時には、パッとページをみると、何となく内容がわかり、自分の気になるキーワードがぱっと目に入ります。漢字だらけの中国語をみると、記号に見える。日本語のひらがな、カタカナと漢字の組み合わせってなんて読みやすいんだと思ってしまった自分がいました。同じ内容を書いてあるのに、言語が変わるだけでこんなにもとらえ方が変わるのかと自分で自分にびっくりしました。恐らく中国に帰り数年を過ごせば日本語が難解な文字に見えるということもあるのかもな、なんて思いました。

「読む」という行為を通じ、「今の私は日本での見方や思考方法にたくさん影響を受けているんだな」と自己認識しました。言語は私にとってアイデンティティを客観視する、リトマス試験紙のようなもの。言語とは単なるコミュニケーションツールではなく、思考を司っていているものであるから。だから、違う言語になってしまうと、その意味を芯から読み取り伝達することは難しいのだと思います。考え方自体が異なるのだから、コミュニケーションは工夫する必要があります。単に言葉の意味を翻訳することは、言語自体を学べば多くの人ができるだろうけど、言語の奥にある考え方やものの味方、アプローチの仕方は両文化を体で感じることができる私だからできることなのかも、と。

日本人的なものの見方と、中国文化の考え方と。言語ができるだけでなく、どっちの見方もできる私が進む道は、あまり進む人のいない蛇の道な気もしますが、あちこち寄り道しながら楽しくこの道を闊歩できたら良いな、なんて思っている今日この頃です。

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