あえてサブカルチャーやアニメ文化に特化したオタクの話をする。
オタクには、ある程度共通するイメージがあるはずだ。アニメグッズをたくさん買っている。アイドルに大金をはたいている。好きなもので外見を固める。など、基本的に収集癖があり、熱量を出費に変えていると想定されている。だから「ビジネスのターゲットとしておいしい」と思われる。しかし、その前提となっているイメージはきっと固定観念や偏見である。
グッズを集めたりライブに行ったりと金銭を消費する行為は、まごうことなき「オタ活」だ。しかしこれは、熱量が高いことと同義ではない。そういう楽しみ方が好きな人がするだけである。オタクらしい妄想をして創作を楽しむこともオタ活。「推し」が出ているテレビ番組を繰り返し見るのもオタ活。消費しなくともオタ活は成り立つ。供給側が儲からないのは、ビジネスに失敗しているだけだ。
もちろん多額の消費をするオタクもいる。そういうオタ活をする人は、好きなものに好きなだけ金を出して心を満たしているので、よくこう言う。こんなに満足できるのなら日々の勤労による疲れも吹っ飛び、利益率が100を超えるため「実質無料」だ、と。供給元が仕事をした時間を鑑みれば個人の消費などもはや体感0円どころかマイナスだ、という思考回路なのだ。
ひたすら妄想にふけるオタ活は当然のごとく実質無料で、一方、大金をはたいて満足を得るオタ活も実質無料。それほど好きで楽しめる、自らのアイデンティティーや生き甲斐の中にオタ活がある。すべてのオタ活は、自己を満たしたいからするものである。
オタクの定義とは何か。外見か。アイドル、アニメや漫画作品が好きだからか。どれも関係ない。精神の在り方である。何かにのめりこみ、並々ならぬ熱意を持って自己満足を求めていれば、立派なオタクだ。己の欲求の満たし方をよく理解しているオタクの活動は、本人にとってはコスパがよい。
どんな業界であれ息の長いビジネスには共通する点がある。いかに必要と思わせるかではなく、満足を商品化できるかどうか。ファン心理の最終形態が、オタクが言う「実質無料」である。