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「細かい日本人」はあと1,000年は変わらない

2020.12.16
高畑龍一

「『高』はハシゴダカですか?」と確認されるのは日本では普通だ。ところが中国ではそんなことは誰も気にしない。「日本では〜」などと説明しようものなら、「ビェンタイ」と嘲笑されるのがオチだ。

さらに言えば、「畑」という漢字は中国にはないので、「田」で代用される。つまり「髙畑」は「高田」になるのだが、これも誰も気にしない。もっと言えば、日本で言う免許センターのような役所で奇跡的に「畑」で登録できたので驚いて話して回ったら、「ふ〜ん、それで?」という反応ばかりで拍子抜けした。

こういう話はいくらでもあるので、「中国はいい加減だ」ということになるのだが、本当にそうだろうか。世界ではむしろ中国くらいがスタンダードだ。

高層ビルのガラス、部屋の壁紙の張り合わせ、衣服の縫製、店舗のディスプレイ、クルマのインテリアのチリ…日本にいると全てきちんとしているのが当たり前だと思うが、日本(とドイツくらい)以外はたいていどこかしらズレていたりする。

さらに、「洗濯物を干す時にワイシャツの向きが揃っていないと気になる」とか「切手を貼る時に水平が出ていないと貼り直してくなる」などと言うと、憐みの眼差しを食らったりもする。

オーバースペックを反省する向きもあるが、作り手も使い手も長年こうだったのだから、日本人が細かいのは直しようがないのではないか。「クオリティを1割下げてコストを3割下げよう」的な説もあるが、最初から「そこそこのクオリティでいい」というカルチャーで育った作り手には敵わないだろう。我々はどこで手を抜くべきか直感的には分からないのだから、そこを研究するとなると、今度はR&Dのコストがかかってしまう。

長年と書いたが、本当に長年だ。100年200年の話ではない。某知人の説で納得したのが、「天皇制度が細かさの源」という話だ。欧米にしろ中国にしろ、戦に勝った者が王となり、それまでの歴史を塗り替え、価値観を一変させる。モンゴルに支配されれば辮髪にするし、イスラムに支配されれば豚は食べなくなる。ニーチェが言うように、本来的には「善い」ということはなく、その時の支配者が「善い」としていることを「善い」と思うだけなのだ。

翻って日本では、天皇が権威としてずっと存在している。将軍は元々は田舎の武士であり、腕力はすごいかもしれないが、センスはお話にならない。というか、ダサい。天皇が白い器をつかっているのに、「いまから器は赤にする」などと言っても周囲からバカにされるだけだ。「やはり白だな」と言わざるを得ない。

作り手からしても白という制約があるので、その中で「いいもの」を作るしかない。つまり、イノベーションは求められない代わりに、とことん白くするとか、白なんだけど薄っすらと模様を入れるとか、そういう細かい技を磨くことになる。細かい技を評価できる使い手が粋と認められる。かくして、作り手と使い手が切磋琢磨して細かい技を追求する。これが日本だと言うのだ。たぶんあと1,000年くらいは変わらない。

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