東欧には疎い。ワルシャワやプラハなどを旅したことがあるくらいだ。その程度の経験から言うと、映像で見る限り、キエフはワルシャワより綺麗でプラハより素朴な印象だ。普段は落ち着いた生活が営まれている街なのだと感じる。そんな街が「侵攻」されているというのは信じ難い。この時代にマンションが「爆撃」されるとか、あり得ないだろう。過去にタイムスリップしたかのようだ。
この状況下、ウクライナの大統領や兵士たちが英雄視されている。「共同体を守る」という行為は社会性動物たるヒトに与えられた使命であり、この使命に身を投じているのだから当然だろう。太古の昔、集落が獣に囲まれたら、立ち上がらなければならない。アドレナリンが放出されて果敢に敵に挑むのだ。死んだとしても、共同体が彼らの子供を育てる。自らの遺伝子が「英雄の子」に伝わるならば、自らの死を恐れる必要はない。だから「共同体を守る」は常に「正」であり、そこに理屈は不要だ。
このような事件が繰り返されて国ができる。「国というものは、突き詰めて言うと、物語の上に築かれるものだ」とハラリが指摘する通りだ。
ユヴァル・ノア・ハラリ
「プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいるように見える」
https://courrier.jp/news/archives/280705/
これに対して、「侵攻」する側には大義が必要だ。思想や宗教などに基づいた大義がなければ、自らの行為を「正」とみなせない。しかし、大義はあくまで理屈であり形而上学的な話なので、頭で納得したとしても、だからと言ってアドレナリンは出てこない。かつては殺戮や略奪、強姦を奨励してアドレナリンの放出量を上げ、領土を拡大する為政者が多かったが、さすがに今日では少なくとも文明国ではこのような作戦は正当化されない。
ロシアのウクライナ侵攻では双方の情報戦も注目されているが、こちらの勝敗は明らかだ。理屈抜きで正しい言動には心を揺さぶられる。理屈抜きで応援する。理屈っぽい怪しげな言動には嫌悪感しか抱かない。何のために行動しているのかが全く違うのだ。