めざましい変貌を遂げる上海
上海で日本ブランドの発信基地として急成長した日本式百貨店“久光百貨店”、現地在住の日本人には「ひさみつ」と呼ばれて親しまれており、今の訪日観光と爆買いの火付け役となったのが久光百貨店ともいわれています。もともとは日本への悪感情を持っていた中国人に変化をもたらすきっかけになったのかも知れません、そこでこの上海の変貌にスポットをあててみました。
日本式百貨店と日本ブランド
冒頭の日本式百貨店“久光百貨店”は香港の利福國際グループと上海の九百グループの合弁会社で、利福國際は香港では「そごう」のフランチャイジーですが、中国本土では「荘勝百貨集団」が先行して「北京そごう」を運営していたために「そごう」の商標が利用できず別ブランドでの展開をしたのです。2004年6月上海1号店の開店にあたっては、利福國際から旧そごう(現そごう・西武)の日本人社員4名が派遣されて「日本式百貨店」としての陣頭指揮をとりました、そして2008年に蘇州店、2009年大連店、2013年瀋陽店の開店に至ったのです。上海初導入となった日本式デパ地下「フレッシュ・マート」は日本からの輸入品が7割を占めており、2009~2011年には「日本ふるさと名産食品展」を開催して高品質で安全な日本の食料品は上海の富裕層からは高い支持を受けました、これが“日本ブランド”人気の発端なのです。
日本ブランドの明暗
“日本式デパ地下”を売りにする久光百貨店ですが、開業時期が日本の「観光立国化宣言」と時期が重ったこともあって、日本産のコメやリンゴも久光百貨を通して中国市場に発信されましたが、東日本大震災の原発事故で中国側が福島県を含む10都県からの食品輸入を規制したことで日本食品の中国での販売は見通しが立たなくなってしまいました。そしてこれに追い打ちをかけたのが2012年の反日デモであり、日本ブランドは完全に出鼻をくじかれる格好になってしまったのです。しかし、日本への悪感情は持続せず2014年から一転して「訪日旅行ブーム」が沸き起こり「爆買いムード」まで生みました。今では上海市民ならたいていの人が日本に行ったことがある時代となり、上海市場は再び日本ブランド、特に「日本の食」を渇望するようになったのです。清酒はもちろん梅酒の扱いはウイスキーを抜いて日本酒の売り場はどんどん拡大し、刺し身や寿司は高値でも売れ、今まで日系小売業態に限った日本食の出店も今や中国系ショッピングモールからラブコールがかかる時代になりました。こうした底上げの背景にあるのは、「訪日旅行ブーム」であることは間違いありません。上海で売られている日本ブランドは日本で買えばもっと安いということが知れ渡り、また「旅行のとき日本で食べたあの味」を求める層は確実に増えているのです。
街がきれいになりモラルも向上している上海
上海の変化はスーパーの売り場だけに限りません、ある上海華僑が「若手が経営する飲食店では、安心して食事ができるようになった」と語ります。衛生観念もだいぶ向上したようで、上海のホワイトカラーが集まる主要なエリアではゴミのポイ捨てもなくなり、眉をひそめる行為を目にすることはほとんどなくなったといいます。またある日本人がすれ違いざまに肩がぶつかったときに相手からの「対不起(すみません)」の声に思わず振り向いてしまったと言い、「相手への詫び」ができないと言われ続けてきた中国人でしたがこれもまた若い世代を中心に変わりつつあるのです。上海に住む若い人たちの意識は明らかにこれまでのものとは違い、車がほとんど通っていない横断歩道で信号が変わるのをじっと待つ人の姿もあるとのことです。訪日旅行の帰国者の間で必ずと言っていいほど話題になるのが「日本の交通マナーの良さ」で、歩行者に優しいドライバーの出現ももう間近なのではないでしょうか。さらには“日本人悪人説”はすっかり過去のものになったようで、南京西路を歩いていたら若い中国人カップルに「こんにちは!」と日本語で後ろから呼び止められたと言います、彼らは純粋な気持ちで声を掛けてくれるのです。
日本人はここ数年、中国市場に背を向けてきたところもあります。2012年の反日デモがきっかけで中国法人の経営を見直す日系企業も少なくありませんでした。しかし、中国という巨大市場で見ればリスクある市場なのは否めませんが、上海というエリアに限定すればかなり洗練された市場に急成長しています。世代交代も進み、海外経験が豊富な若手を中心にマインドセットを変えようとしており、成熟に向かう市場としてこれを再評価する必要があるのではないでしょうか。
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