張小龍氏、ミニプログラムを発明するも彼自身どう使うか分からずにいる
2018年1月15日、微信(WeChat)オフィシャルが年に一度のWeChatオープンクラスPRO大会を開催し、騰訊(テンセント)高級副総裁、“微信の父”である張小龍氏が開幕の挨拶を行いました。印象に残ったのは、張小龍氏が、「ミニプログラムを発明したけれど、彼自身もどのように使うか分からずにいる!」と言ったことでした。
セミナーで触れられたミニプログラムについて、「跳一跳ミニゲーム」、「ミニゲームチーター」、「一回だけの使用でもOK」、「はじめ厳しく、あと優しく」といった、いくつかの方面が取り上げられました。
目次
跳一跳
おそらく大多数のユーザーが、はじめてミニプログラムに触れたのが跳一跳を通してだと思います。ミニプログラム内部の試験的な商品を作るにあたり、その効果は完全に張小龍氏の想像をも超えていました。一年前、不認可であるミニゲームをオンラインに出してから、今年のミニゲームがもたらしたミニプログラムの第一回目の爆発的な人気まで、これは非常に大きな転換期と言えます。
騰訊(テンセント)内部でもさらに多くの実力あるゲームメーカーに参入してもらいたいと要請しており、ミニプログラムの構成としてミニゲームを組み込んでいこうと、全力を挙げて取り組みはじめています。
跳一跳チーター
ひとつの小さなゲームのチーター(チート行為を行うプレイヤーのこと)でさえ、事態は非常に深刻です。張小龍氏は、チーターがシステム全体のルールを破壊し、ルールが無効になることに気にしています。筆者の視点から言わせてもらいますと、チーターが出てくるということは、そのゲームが爆発的にヒットする前兆でもあり、もし仮に早くからあるようなゲームであれば、ユーザーにルールを破りたいという欲望など湧くことすらなく、それはゲームとして成功とは言えないでしょう。
ただチーターは、絶対に人として正しい道ではありません。微信(WeChat)は、創立当初ライバルである二つの商品、「近くの人」、「揺一揺」を切り離したことがあります。先に述べた二点の内容をまとめますと、ソーシャルネットワークの背後にある人間らしいニーズというものは、商品を掘り起こす際に必要不可欠な一部分であり、そしてこれは表立って伝えられるものではいのです。漫才のように、舞台上で話すことはすべて放送できるものでなければならないのですが、しかし、もともと視聴者が好むのは紛れもなく舞台下では放送できないものなのです。
一回だけの使用でもOK、リピーターはいる
この次に、張小龍氏は昨年の公開セミナーで語った「一回だけの使用でもOK」について、さらなる解説を行い、実はその言葉には続きがあり、「去ってもまた戻ってくる」と続くのです。会場にいた聴衆は、にわかに難度が上がったように感じました。95%の人は一回だけの使用というのはできるのですが、リピーターは5%にも満たなく、この割合はさらに低いことでしょう。後半の言葉こそ、ミニプログラムとして成功するか否かのキーポイントとして試されています。
その割合は、多くのインターネット会社内部データーにある長期利用者の割合と少し似ていて、利用回数の多い顧客やアプリのユーザーはアプリをダウンロードして、退屈しのぎに遊ぶこともあります。ミニプログラムは基本的にシャットダウン後に、思い出さない限りは再び開くことはありません。これは目下、マーケットのなかでミニプログラムの数が多くもなく、人気もイマイチである主な原因で、多くの人がミニプログラムを良く思わないキーポイントでもあり、難易度が非常に高いのです。
「はじめ厳しく、あと優しく」
張小龍氏は、ミニプログラムのコントロールははじめ厳しく、あと優しくという方式をとっています。ミニプログラムは新しい種として、「三歳で性格と青年期の心理状態が見て取れ、七歳で中年以降の成績と功績が見て取れる」の言葉にあるように新しく生まれた物事は無限の可能性に満ちているのです。騰訊(テンセント)は家主として、ミニプログラムが必ずたくましく健やかに成長することを願っています。しかし、これはあくまでも筆者個人の理解であって、前半の厳しさは「是」と「非」の決定によるところが多いでしょうし、合理性はさらに重要でしょう。
たとえば、「チーター」、「誘導転発」、「ギャンブル」は、この時期の決定は比較的簡単だったでしょう。後半の優しくというのが本当の挑戦であり、A方式もいいですし、B方式でもいいと言うこのときこそ、ミニプログラムチームの自身の立ち位置を確認するときでもあります。そのため、違った角度から言うならば、前半にある「厳しさ」のときこそ優しくする時期で、この段階で各方面の名人は自身の一手を繰り出せますし、チャンスを捕まえるときでもあります。ミニプログラムという子供は将来、「文人」になるのか「武人」となるのか、基本的にはこの時に確定するのです。あとの優しさはただ手直し程度でしかないのです。
ではここで、微信(WeChat)の公開セミナーでミニプログラムについて、これほど多く話しましたが、まとめてみます。張小龍氏の内心としては、愚息が発明したミニプログラムはまだまだ低学年のレベルで、将来的には大きく成長してほしいと願っていて、そのためのキーポイントとして、名人方によるご指導が必要と同時に、まともではない方たちには遠く離れて頂きたい、これだけです。と思っていることでしょう。
張小龍氏自身はなぜ明確な道しるべを示さないのか
張小龍氏を知っている人はみな、彼が内向的な性格であることと、極度に名誉を愛しているということを知っています。当時メールボックスをつくるとき、自身が落ちぶれようとも商業化はしたがらなかったのです。こうした二種類の性格が合わさったことで、彼の人に対する洞察は非常にきめ細やかなものとなり、同時に商品の体験に対する要求も激怒するほどとなりました。同時に張小龍氏の執筆した書籍を見てみますと、『失控』、『信息簡史』、『女人的起源』、『数字烏托邦』があります。これらの書籍には二つの共通した特徴があります。
●書籍の内容の多くが、すでに私たちが重要視していない学科、つまり生物学、社会学、行動学に集中しています。そして決して激しい経済学、管理学など実用性ある学科ではなく、さらには多くのインターネット商品の経理がよく見る商品書籍でもないのです。これこそが「道」と「術」の違いなのです。
●焦点として、事物の発展の最も根本的な原理に集中しています。すべての事情は歴史の繰り返しであり、基本的にそのルールは変わることなく、外在的なものは形式だけであって、物事のおおもとまでさかのぼると、万物はひとつのところに戻るのです。
上記に述べた二点もまた個人的に張小龍氏を支持し続けている理由であり、商品を目の前の利益のためにしない、KPIをくびきにしないということができる方なのです。最も基本的なルールの掌握さえすれば、外在的な形式として現れるものも間違いがないです。しかしながら、外在的なものはどのような形式で繰り広げればいいのか、これは描く方法がなく、かすかでハッキリしないものであり、また無限の可能性を秘めているのです。
道徳経のなかでは、道は万物をはぐくむが、あらゆるものを占領するものではないと説いています。この道というのが最も基本的な自然のルールで、張小龍氏サイドが使っている言葉では「ツール」なのです。万物をはぐくむが、あらゆるものを占領するものではない―ミニプログラムはただ権限を付与するだけで、開発者にはルールに沿って自分自身で発展していってもらう、決して自分が中心ではないし、開発者やユーザーにこうしなさいと強いるわけでもなく、さらに誘導するような動きもしません。
この道理はまるでかつての設計士のやり方と似ていて、どのように公園のなかに路地をプランニングするべきか、最も好ましいやり方は公園すべてを草で覆い、二ヶ月後に、実際に人々が通ってできた路地こそが、最も科学的なやり方であるというものです。
そのため、張小龍氏がかねてから行ってきたのは、非常に肥沃な土地を提供し、地面にどのような草木が生るのか、どのような花が咲くのかについては、自然の進化と選択に委ねてきました。確かなことは、土壌が肥沃であれば必ず大きな種が育つ、ただそれがいつ発芽するのかを待てばいいのです。この時が折しも百家争鳴で、ごく小さな場所の時期でした。長い間、信じ切られずにいたところ、こんな使い方もあったのか!という感嘆がしばしば聞こえてきました。
ミニプログラム創業チームは何ができるのか
まず、微信(WeChat)公式アカウントが最初に誕生した経緯を見てみましょう。PC時代において、当時ポータルサイトが「捜索」だった頃、ネットユーザーが求める内容はすべてインターネットを通して得る形式で、サイト間をリンクで飛ぶことで、比較的スピーディーに容易に行っていました。ワイヤレスのスマートフォンの到来とともに、ひとびとは自分の携帯上でアプリをダウンロードしはじめ、これは非常に大きな変化をもたらしました。
どの人も上部にある何件かのアプリに費やす時間だけがどんどん増え、そのために後ろに続くアプリを使用することが難しくなっていました。微信(WeChat)は、最も長く生き残り続けているアプリとして、スクロールしないと見られないほど長く伸びたアプリ一覧を圧縮して自身のなかに収め、アプリを支えるスーパーアプリとなることで、こうして微信(WeChat)公式アカウントが誕生しました。
微信(WeChat)公式アカウントの誕生は、しかしながらひとつの問題を孕んでいます。いま多くの人が微信(WeChat)公式アカウントに注目をしていますが、ずっと使っているわけではなく、多くの人はおそらく忘れないように、次回使うときに見つけられるようにと考えているだけで、多くの情報が携帯に通知されても実際のところは受け入れたくないのです。
PC時代のポータルサイトの切り替えと比べれば、多くの部分において自分自身で選択するという権利、そして自身のプライバシーが失われています。これはミニプログラム誕生の最初の願いとなりました。
そのため、微信(WeChat)がやりたいことと言うのは、チャット以外の効能をすべてミニプログラムで行い、そしてこの工程のなかでは、ユーザーに非常に快適でいてほしい、反感を買わないようにしたいのです。(いったん反感を抱いてしまうと、チャットという効能自体も排除したくなり、それは微信(WeChat)の根幹を揺るがすことになりかねません)。
いまのところ比較的好評であるミニプログラムを見てみましょう。「跳一跳ミニゲーム」、「携程春運火車票助力」、「美宜佳恵キャンペーン」、「于小戈電商」なども含まれます。これらを除いてほかに、爆発的なヒットを飛ばしたいミニプログラムを作りたいのであれば、二つの会社を必ずよく分析しなければなりません。「拼多多」と、「雲集」です。この二社は完全に微信(WeChat)に依託しているダークホースであり、さらには代表でもあります。
上記からいくつかの方向が見えてきました。
アクセス数
微信(WeChat)が現在有しているアクセス数は国内のネットユーザー数と同等であり、現在アクセス数を獲得するコストが高まっている環境下で、巨大な投資でアクセス数を買うことよりも、この部分の時間と気力を微信(WeChat)がもともと持っているアクセス数に切り替えた方が得策でしょう。商品を作るにあたり、三つの問題が肝心かなめで重要であり、自問自答する必要があります。
①どのようにしてこんなにも多くのユーザーのなかから、合理的な方法で目標とする顧客を見つけ、精確なターゲットを得るか。
②初期ユーザーはどこから切り込めばいいのか、この切り込み方はスイカを切るのと同じで、一太刀で見事に切り分けなければならず、何度切りかかってもスイカが割れないという事態は避けなればならない。
③何を以て次回もユーザーに思い出してもらい、去ってもまた戻ってきてくれるか。
ソーシャルネットワーク
微信(WeChat)のシステム全体は、人と人との繋がりから成り立っており、ソーシャルネットワークは今後すべての発展の基礎です。一連の広告、プロモーションと変化は、ソーシャルネットワークの基礎の上に成り立っているのです。さらに言及するのであれば、個々人のソーシャルネットワークを使う際の人間らしいニーズを逃さないこと、見せびらかしたいからインタラクティブな動きに繋がる。楽しいからシェアしたくなる。
実用的だから「拼単」したくなるのです。このうちの一つでも完璧にできれば十分です。「拼多多」も「拼団」を徹底的にやり切ったからこそ、現在の百億もの評価価格にまで発展したのです。
軽量化、多元化
パターンは簡単であればあるほど良く、切り口は直接的であればあるほど良いのです。ひとつのミニプログラムで、ひとつの問題を解決すると言うのが最も好ましく、ユーザーが使用する際にまったくの負担とならないのです。以前のアプリの発展は、みな自身のアクセス数を安定させるために、可能な限り多くのカテゴリー、多くの業務に渡り展開していました。ミニプログラムはまさにその正反対で、ひとつの効能に対してひとつのミニプログラムなのです。
頭の足りない人でさえ起動すれば一目瞭然で、説明や指導は必要ありません。スティーブ・ジョブズの言葉を借りるのであれば、一般の人は物事をやればやるほど複雑にさせている、できる人ほど簡単に物事を処理しているのです。
ミニプログラムは研究開発の設計から言って、アプリと比べて簡単、便利で、おおくのミニプログラムは業務時間を使えばすべて解決することができるでしょう。現在の時間ノードから、ミニプログラムへの深い理解は、この基礎の上で大胆にイノベーションするという思考がとくに重要で、ギーク並みのパッションと執着が必要になってきます。
[原文 : http://www.opp2.com/76852.html]
[newspicks url=”https://newspicks.com/news/3007059″]