世界一を目指すシャオミCEO 衝撃の挫折と成功
未来の道のりにおいて、自分を信じ、前進しよう!
シャオミ(小米)創業者である雷軍(レイジュン)CEOが10年間の歴史を振り返り、スピーチでの発言です。
今日はその内容を中国のメディアより紹介します。
今回のスピーチのテーマは「前進」です。困難を乗り越えて前進を続けてきた同社の10年を振り返り、これからも絶えず「前に進んでいこう」と締めくくっています。
日本ではなかなか聞く機会の少ない中国で大成功している起業家の話です。ぜひ最後まで視聴いただくと新たな発見があるかもしれません。
目次
- 1 夢の始まり
- 2 トライアスロン:ソフトウェア、ハードウェア、インターネット ― つまり、ソフトウェア、ハードウェア、インターネットの「いいとこ取り」をして「近道」を行くという、別のアプローチを取ったのです。 当時、各分野の巨頭はそれぞれ、モトローラ、Microsoft、Googleでした。
- 3 組織
- 4 「三十顧の礼」
- 5 困難を乗り越え前進する
- 6 携帯電話
- 7 「紅米(Redmi)計画」
- 8 リスクを取らなければ成功はない
- 9 3.シャオミに学べ
- 10 挫折の後の転機
- 11 MIXリリース 2016年10月25日
- 12 品質
- 13 10億の在庫
- 14 国際消火隊と「塞翁が馬」
- 15 3つのハイライト
- 16 これからの10年
- 17 「小米伝」
夢の始まり
雷軍が仲間たちとシャオミを立ち上げた10年前、中国で携帯電話といえば、ノキア、モトローラ、サムスンといった外国勢が圧倒的な優位にあり、かつ非常に高価なものでした。一方、国産品はというと、ZTEやファーウェイのような大手の製品以外はパクリものが跋扈(ばっこ)するといった状況で、品質は非常に低いレベルでした。
そこで、雷軍はこう考えました。「世界で一番品質が良く、しかもみんなが買える安価な携帯電話を作ろう」。
実は雷軍は携帯電話は全くの門外漢でした。しかし、彼はこんなアイデアで勝負に出ます。
「インターネットというモデルを使って携帯電話を作れないだろうか?」
トライアスロン:ソフトウェア、ハードウェア、インターネット
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つまり、ソフトウェア、ハードウェア、インターネットの「いいとこ取り」をして「近道」を行くという、別のアプローチを取ったのです。
当時、各分野の巨頭はそれぞれ、モトローラ、Microsoft、Googleでした。
組織
そこで、早速人材集めの開始です。まずはGoogleから優秀な人材を一人、引き入れることができました。しかし、そこからは苦労の連続でした。非常に多くの時間をかけ、たくさんの人と話をしたそうです。
「三十顧の礼」
この時の経験を振り返って、雷軍は言います。「いい人材が見つからない」とよく耳にするが、彼に言わせるとその原因はただ一つ、人材探しに十分な時間をかけていないから。「三顧の礼」という言葉があるが、実際は「三顧」では十分ではない。その10倍、つまり「三十顧の礼」を尽くさないと、良い人材は見つからないと言っています。
困難を乗り越え前進する
本来は非常に複雑な工程が必要なOSの開発ですが、彼らはまず、機能を最小限にした非常にシンプルなものを作り上げました。
こうして、わずか2ヶ月余りで開発されたのが、スマートフォンやタブレット端末向けのファームウェア、MIUI (ミーユーアイ)です。
これは、Androidオープンソースプロジェクトからリリースされたソースコードをベースに、シャオミ独自のカスタマイズを施したものです。
最初はわずか100人の「勇気あるボランティア」のトライアル(ROM焼き)から始まったMIUIの使用でしたが、口コミであっという間に広がり、開発者向けのコミュニティサイトXDAで高評価を得てからは、世界中に広まっていきました。それから1年足らずで、MIUIのユーザー数は30万人を超えたのです。
携帯電話
ベストな携帯電話を作るためにはベストなハードウェアチームが必要です。大変な苦労の末、やっとモトローラと提携できるかというところまで行きましたが、サプライチェーンの不備という問題があり、この話はおじゃんになりました。
次に、これもまた大変な苦労の末に、ついにシャープとの商談の約束をこぎつけるところまで来ました。商談予定日は2011年3月26日でした。そして3月11日の東日本大震災の発生です。放射能の心配がありましたが、シャープ本社は大阪、しかも非常な苦労をして掴んだ得難いチャンスです。こうした非常事態の中をシャオミの3名は大阪に飛び、商談を決行しました。これがシャープ経営陣の心を動かし、商談は成功しました。
シャオミ第一世代の携帯電話の定価は約3万円でした。
元々の計画では約2万2千円の予定だったのです。しかし、品質重視の彼らは妥協をせず、結果的にコストがかさんでしまったためでした。
当時、国産携帯電話の平均価格は約10500円、そんな中での思い切った価格設定でした。
しかし、2011年8月16日の製品発表会は大盛況で、フタを開けてみると、予約台数はなんと30万台、最終的に総販売台数は700万台超えという、というまさに奇跡的な数字が叩き出されたのでした。
「紅米(Redmi)計画」
2012年、シャオミのこの勢いに注目した政府からミッションが下されました。国内産業チェーンを牽引せよというものです。
こうして、国内産業チェーンを優先し、国民のための携帯電話を作るという「紅米(Redmi)計画」が制定されました。
しかし、当時の国内サプライチェーンはまだ成熟しておらず、でき上がった製品に全く満足できなかった雷軍は、6億円という開発費用もドブに捨て、最初からまた全部やり直し、続いて実質的には第二世代となる製品、「紅米(Redmi)H2」を正式リリースします。2013年7月31日のことでした。価格は1万2千円、販売合計台数は4460万台と予想を遥かに超え、国内産業チェーンもこれで大きく発展しました。
リスクを取らなければ成功はない
ここまでを振り返ると、シャオミの大成功の裏には、大きなリスクを伴う困難な選択を迫られる状況がいくつもありました。
・放射能リスクの中、日本に行きシャープと商談するかどうか
・販売価格を予定の2万2千円から3万円に変更するか
・すでに研究開発されていた第一世代紅米(Redmi)をまた一からやり直すか
しかし、雷軍はこう続けます。
・リスクを取らなければ成功はない
・リスクと向きあい、捨身でかかる
3.シャオミに学べ
この頃から、シャオミに学びたいという多くの創業者、企業家たちがでるようになりました。シャオミの方も、自分たちの経験を公開して、業界を変革したいという気持ちがあり、2014年にはスタートアップをインキュベートするエコシステム・プログラムを立ち上げました。6年間で100を超えるスタートアップをインキュベートし、多くの優秀な製品が世に出ています。日本でも高評価を得たIH炊飯器などもその一例です。
挫折の後の転機
2015年末、それまでの超高速成長の影に潜んでいた多くの問題が一気に爆発しました。
携帯電話業界では、販売台数が減少はしても逆転する企業はありませんでした。
シャオミも存亡の危機に瀕していました。連日朝から深夜までの会議続きで本当に困難な時期でした。
MIXリリース 2016年10月25日
MIXの全面ディスプレイは大きな驚きを持って迎えられました。MIXは、オランダ、フランス、ドイツの世界三大デザイン博物館にも収蔵されています。
これが、シャオミの業績挽回のきっかけになりました。
MIXは、元々は2014年、シャオミのエンジニアたちからのアイデアが始まりです。当時はまだ、全面ディスプレイという発想は奇抜なものでしたが、雷軍はエンジニアのアイデアに対し、量産性、時間や開発費は気にせず、とにかく作ってみろとゴーサインを出したのでした。
MIXの成功は、シャオミのエンジニアを大切にする文化を反映するものです。エンジニアはシャオミの最も重要な資産であるとみなす雷軍は、エンジニアのために「シャオミ 技術賞」を創設しています。これは、画期的な貢献をした技術グループに贈られる、社内で最も栄誉ある賞とされ、賞金は1億円相当の株式だそうです。
品質
「コスパが良い」これはシャオミの最も強力な武器であり、また同時にアキレス腱でもある、と雷軍は言います。というのは、中国の庶民は「安かろう悪かろう」という考えが根強い。そのせいで、「安くて良いもの」を目指してきたシャオミは、各方面から誤解や非難を受けてきました。
しかし、2018年、シャオミは国内品質技術賞で最優秀賞を、そして2019年には雷軍自身が「今年の人物」賞を受賞しました。
こうして、シャオミは2017年Q2から奇跡の逆転を遂げ、再び高速成長を開始したのです。
10億の在庫
シャオミは早い時期から国際化をしています。
2014年第3四半期、シャオミの携帯電話の出荷数は中国トップに躍り出たばかりか、世界第三位となりました。
2014年6月にはインド市場に参入し、破竹の勢いで瞬く間に業界のスターになります。
しかし、困った事態はすぐにやってきました。
2014年7月にリリースされたシャオミ4は、中国では非常に好調で品薄状態が続きました。
インドチームは非常に楽観的で、50万台の特注要請が出されました。
2015年1月、このフラッグシップ携帯電話がインドでもリリース。しかし、予想だにしなかった結果となりました。なんと、これが全く売れなかったのです。在庫が10億台!中国に返送しようにも、すでに4G時代に突入していた中国では、インド向けの3G製品は売れません。
国際消火隊と「塞翁が馬」
シャオミは大至急「消火隊」を結成し、世界各地の3G市場を探して販売を開始しました。
3人だけのこの「消火隊」は、東南アジアから南米、ヨーロッパから中東まで世界60カ国を駆けずり回りました。
当時のシャオミは、海外での知名度はまだ今ほどは高くなく、数え切れないほど門前払いを食いながら、苦労して販路を開拓し、結果的に世界の携帯電話市場に食い込むことになりました。まさに「塞翁が馬(さいおうがうま)」です。
こうして、この「消火活動」は予想外の利益をもたらすことになりました。「消火隊」は国際業務の先遣隊となり、この時期に国際化が一気に進展しました。
現在シャオミは世界の90以上の国と地域に進出し、携帯電話事業は50か国および地域でトップ5に入っています。
最近の2年間はヨーロッパ市場に力を入れていて、今年はなんとヨーロッパで3位になり、スペインでトップ、フランスでは2位になりました。
ここまでを振り返り、雷軍はこう言います。
・こうした浮き沈みを経験して分かったことは、「成功」とは計画の結果ではなく、また、「危機」とは思ってもみなかったチャンスである。
3つのハイライト
雷軍は次のように言っています。自分が一番気にかけているのは「いつの日か自分がCEOを辞めても、シャオミの経営陣は、人々を感動させ、リーズナブルで品質の良い製品を作り続けることができるのか」ということだと。そこで彼が考えたのが、法律文書という形で、このミッションを固定化するという方法です。
上場前日、取締役会の決議が発表されました。「シャオミのハードウェアの総合純利益は永遠に5%を超えない。超えた分はすべてユーザーに還元する」という内容でした。
当然、株主からは猛反対を受けました。しかし雷軍は「偉大な企業は人の心を勝ち取る」と説得をし、株主たちも最終的には同意をしたのでした。
2つ目は、北京へのオフィス移転です。ハイテクパーク内に自社ビルを持つことができた感激はひとしおだったようです。
「9年余りの奮闘で、やっと北京へのオフィス移転。8棟のビル、34万平方メートル、52億の建造費」という趣旨のお知らせがウェイボーに載りました。
3つ目は、フォーチュン・グローバル500ランクインです。
2019年、468位にランキング入りしました。
そして今年2020年、またしてもランクイン、今度は422位です。
これからの10年
この10年間を振り返り、シャオミが本当に誇りに思えることは何か。
雷軍は次のように述べています。
まずは同業者たちと共にスマホを普及させ、モバイルインターネットを推進してきたこと。
それから、シャオミのエコシステムは100以上の業界に変革をもたらし、多くの起業家を輩出しました。その中には、わずか5年ほどでロボット産業のリーダーとなり、今年の2月に科創板(イノベーションボード)に上場した「石頭科技(Roborock Technology)」もあります。
また、国際化の推進による生産拠点の拡大で、現地の人々にも生活向上をもたらしています。
「小米伝」
著名な伝記作家である範海濤氏が、シャオミ初の公認の伝記を執筆しました。タイトルは、「一往無前 (いちおうむぜん)」、困難を恐れずに前進するという意味です。
そして、シャオミの今年の研究開発予算は約1532億円に達します。この巨額な予算は、シャオミが常に革新的であろうとすることの現れです。
シャオミの今後の10年について、雷軍は3つの願いを述べています。
・シャオミが世界で最も有名なブランドの一つになり、どの国でも「シャオミ」の読み方が知られるようになること。
・自分がいつまでも表舞台に立つのではなく、若い世代に活躍してもらいたい。
・この先多くのスタートアップ企業が生まれて成長し、そして成功したときに、彼らがシャオミの創業ストーリーに感銘を受けたと言ってくれること。シャオミは、この先もっと鷹見に行けると自分は信じている。
また、次のようにも述べています。
・長期的に価値のあることをして、時間と友達になろう。
・同時に、戦略的には足場を固めて着実に進み、猪突猛進は避けよう。
最後に、これからの10年について、次のように締めくくっています。
・シャオミはエンジニアにとって憧れの聖地になるだろう。
・スマートライフはすべての人に大きな影響を与え、シャオミはこれからのライフスタイルの牽引役となるだろう。
・「スマート製造」(中国政府による製造業のスマート化政策)の後押しで中国ブランドの台頭がさらに進み、シャオミは中国の製造業において無視できない新興勢力になるだろう。
・シャオミは今後も、世界中のあらゆる人々の素晴らしい生活のために努力していく。
未来の道のりにおいて、自分を信じ、前進しよう!