アリペイを生み出したアントフィナンシャル の成功法則〜アリババの戦略〜
アリババのグループ企業「アント・グループ」IPOのニュースが、話題となっています。今年6月、旧名アント・フィナンシャルが、アント・グループに改称しました。フィナンシャルの名では、金融会社のイメージが付きまといます。IPO直前に看板を掛け変えたのは、何か大きな決意を感じさせますね。とにかく、今年世界最大のIPOになる、といわれています。その核心に迫って行きますのでぜひ最後までご視聴いただけたら嬉しいです。
目次
本書の特徴
今回はこちら「アント・フィナンシャルの成功法則」より紹介、ポイントを解説しながら、その秘密に迫りたいと思います。本書の特徴は、中国人作者が関係者に直接、取材、インタビューしている点です。成長のキーマンの肉声が聞こえてきます。日本人が書いたものは、概ね公正な視点は維持していますが、事実の列挙か、または評論家風になりがちです。本書は、それらとは一味違う内容となっています。
著者は、中国でいくつもの金融メディアの代表や、大株主であり、フィンテック分野の中国を代表するエコノミストです。原著である「螞蟻金服科技金融独獣角的崛起」は代表作で、検索エンジンでは真っ先にヒットします。アント・グループ関連の執筆記事も多く、その研究を、メインテーマにしているようです。以下、ポイント解説を加えながら、アント・グループを分析していきましょう。
2003年、淘宝(タオバオ)スタート
本書は、2003年から書き起こしています。この年は1999年に創業したアリババにとって、最初の転機となりました。創業以来B2B業務を主力としていたアリババは、この年に淘宝(タオバオ)サイトを立ち上げ、C2Cビジネスに乗り出します。その理由は、アメリカのイーベイの中国進出です。しかもイーベイのB2Bへの進入を防ぐ、という極めて消極的な理由でした。イーベイを2Cビジネスに釘付けにしておくため、淘宝サイトを作り、対抗したのです。つまり、今のアリババを作った功労者はイーベイともいえます。
支付宝(アリペイ)スタート
問題は決済でした。当時、上海の銀行ATMは、見かけは立派でも、上海で開設した口座の預け払いしかできませんでした。遠方の企業や個人と決済するのは大変でした。社員に現金を持って行かせ、そのまま持ち逃げされた、などの話が後を絶たない時代です。ネット通販の決済など、雲をつかむような話だったでしょう。試行錯誤の果てに、現在のメルカリ方式に落ち着きました。タオバオの口座がいったんお金を預かり、売手と買手の信用を仲介します。これはアリババの“本業”B2Bで実現しなかったアイデアを借りてきたそうです。そういえば貿易におけるLC決済にも似ていますね。とにかく、これによってイーベイとの戦いに勝利し、大発展のスタートとなりました。
中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
ここで本書はハーバードビジネススクール教授の口を借りて、重要な指摘をしています。「新商品でなければイノベーションとはいえないと考え、新しいサービスやプロセスの改良をイノベーションとは認めず、それらのチャンスを拒絶してしまう。」すぐれたアイデアを実際に使うことがイノベーションの第一歩です。
パートナーとシステム構築
アリペイ決済は機能し始めましたが、次の問題は銀行の処理能力でした。このころは買手からの入金を売手の口座に振り替えるため、伝票を出力し、いちいち中国人民銀行(中央銀行)のシステムへ手入力していました。Alipayによる決済が増えれば増えるほど作業量は増加し、主力銀行だった中国工商銀行杭州支行の業務は、Alipayのせいでパンクしてしまいます。そこでAlipayは、工商銀行と新システム構築を目指しました。苦労して、仮想口座システムを作り上げ、オンライン決済への道を開きます。そして2004年12月には、独自サイトを立ち上げ、自ら会員募集を始めます。アント・グループの実質的スタートでした。工商銀行は1984年設立と比較的若く、イノベーションに積極的だったのです。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
ここで本書は、前上海市党書記の口を借りて重要な指摘をしています。「ジャック・マーはなぜ上海から現れなかったのか?」同じ工商銀行でも国有大企業相手の上海支行では、新興企業の試行錯誤に真摯に向き合ったかどうか。芽をつぶしていたのではないか、というのです。よいパートナーに巡り合える。ということこそ地の利であり、それは上海や東京のような巨大都市とは限りません。
巧みな組織コントロールと人事
Alipayは、順調に扱い高を伸ばす一方、問題も抱えていました。それは中国語のビジネス記事で頻出する、用戸体験(User Experience)の低下です。要は使い勝手が悪い、という不満が多かったのです。それはジャック・マーの耳にも届いていました。彼は、2010年1月、Alipayの年次大会にサプライズ(実は計画的だった)登場し、気合いを入れます。好業績に浮かれていた幹部たちは、檀上で改善への決意表明を強いられました。その中には、AlipayのCEOに就任したばかりの彭雷(女性)もいました。
彭雷は、ジャック・マーを中心とする1999年のアリババ創業メンバー18人、いわゆる十八羅漢の一人です。彼女はそれまでアリババグループのCHO(最高人事責任者)を務めていました。グループの人事部長が、金融子会社の社長に異動したわけです。新しいCEOに金融の知識は、まったくありませんでした。このむちゃぶり人事を行ったのは、ジャック・マーです。畑違いの部門を任された彭雷でしたが、彼女は高い学習能力を発揮し、たちまち社内を掌握します。そして2013年以降の大発展の地ならしを行いました。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
ジャック・マーは、Alipayの戦略を調整しようとしました。彼のいう戦略とは、計画の変更ではなく、組織の変革です。サプライズ登場で、それをメンバーに認識させ、その目的にかなう人材を送り込みました。知識や経験は、人事の肝にはなりません。トップの必須条件でもありません。後にジャック・マーは、自分はタオバオでの買い物、Alipay決済の方法を、知らなかった、述べているほどです。
決済から金融へ、トップの決意
ジャック・マーは、2013年の初頭の会議において、再び戦略の調整を行います。それは決済から金融への転換です。会議ではMMF(マネ―・マーケット・ファンド)、銀行、保険、信用評価、などについて話し合っています。これらは後に、すべてオンラインで実現させ、それぞれの業界でイノベーターとなります。
またAlipayの運営会社が、螞蟻金服(アント・フィナンシャル)に衣替えすることも発表しました。
ジャック・マーの構想は、一般庶民でも零細企業でも、中国工商銀行の頭取、つまり有力者、富裕層と同じような金融サービスを受けられるようにすることでした。よりオープンな金融システムを中国に、根付かせようというのです。そして「遠慮なくやって下さい。我々のすることが顧客の利益のためならば、もし牢屋に行かなければならないときは、私が行きます。」と宣言しました。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
「責任は自分がとる。」サラーリーマン経営者ばかりの日本企業では、めったに聞かれなくなった言葉です。牢屋に行く、というのは当局との見解の違いを恐れるな、ということでしょう。当局の顔色を窺いつつ、慎重にことを進める日本のビジネス界との違いが際立ちます。どちらが生き生きとした土壌か、一目瞭然ですね。中国人が日本は不自由で窮屈、平気で利益を逃してしまうと感じるのは、まさにこの点にあります。
余額宝の成功
MMF「余額宝」の成功は2010年代の中国金融界にとって、最大級の大事件でした。しかし一般の解説では、出し入れ自由で、利率が高かったから、などごく当たり前の記述しかありません。本書はその内情を詳しく語っている点が秀逸です。
きっかけは2011年、アリババに転職してきた人物の持っていた人脈です。彼は数学科の出身で証券や投資信託関係の仕事をしていました。彼の友人の1人も天弘基金というファンド管理会社へ転職したばかりでした。当時アリババは日の出の勢いの新興ネット企業でしたが、天弘基金は、誰も知らない弱小ファンドでした。この2人の再会から、MMFのオンライン販売というアイデアが動き出します。両者は2年間、証券管理監督委員会と話し合いを重ね、2013年5月、暫定の許可を得ます。余額宝の発売は翌6月でした。発売すると、たちまち世界最大級のMMFに成長します。銀行の1年定期預金が1.75%(これでも日本よりは相当高いですが)の時代、出し入れ自由で、おおむね2%台後半から4%くらいの利率を保っていました。借金して余額宝で運用する人が激増します。そのため、当局が何度も購入制限をかける騒ぎとなりました。余談ですが、資産管理規模1550億円の弱小ファンドだった天弘基金は、2019年には18兆7000億円を運用し、中国ナンバーワンのファンドへ大出世を遂げています。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
創業企業が急拡大すれば、新しい人材を集めるしか途はありません。余額宝はそうした新加入の人脈ネットワークから生まれました。こうしたケースの場合、日本の由緒正しい大企業なら、プロパー社員の協力を得られないどころか、妨害されることすらあり得ます。ジャック・マーと彭雷は、イノベーションを高く評価する社内風土を確立していました。
ライバル、テンセントとの戦いⅠ 紅包(お年玉)
中国では2013年末から4G時代が幕を明けます。日本人のようにガラケーにノスタルジアを感じる人はなく、中国人は一段と便利になったスマホに飛びつきました。そして、このころライバルに浮上してきたのは、テンセントでした。2011年にローンチしたSNS、WeChatは倍々ゲームでユーザーを伸ばしていきます。モバイル時代にマッチした新しいSNSとして、ユーザーに歓迎されました。
Alipayは、余額宝の大成功の余韻に浸る間もなく、新たな強敵、そのWeChatを迎え撃つことになります。WeChatは2014年春節(旧正月)、紅包(お年玉)キャンペーンを仕掛けます。多くのユーザーがオンラインでお年玉を送り合い、大成功を収めました。メッセージアプリが決済と結合したのです。ここからWeChatPay(微信支付)の快進撃が始まります。Alipayは対策をたてましたが、翌2015年の春節も完敗を喫します。そこでジャック・マーを交えて、会議を行います。その答えは2015年6月のAlipayアプリのバージョンアップでした。
ここでAlipayは、決済や金融商品を買う手段としてのアプリから、生活総合サービスを志向し、新たに、朋友(友達)や口碑(口コミ)の機能を追加しました。決済の必要な消費シーンを想定し、徹底的にそれにこだわりました。それらは一定の評価を得て、Alipayの月間アクティブユーザー数は2015年の14位から、2016年には3位に上昇しています。そして、モバイル決済シェアでもトップの座を譲ることはありませんでした。
ライバルのテンセントとの戦いⅡ ミニプログラム
テンセントとは引き続き、ミニプログラム(小程序)を巡る争いが起こります。本書では、ミニアプリと翻訳され、あまりページを割いていませんが、重要なポイントです。
ミニプログラムは、テンセント副総裁の発案です。低コストで企業と顧客を結びつけるプラットフォームを開発し、これを微信小程序(WeChat ミニプログラム)と名付けました。2016年9月、テンセントは有力な企業顧客を招待します。正式ローンチは翌2017年1月でした。
ミニプログラム登場により、参加企業のアプリは、いちいちダウンロードする必要がなくなくなりました。ユーザーは、WeChatを見ているだけで、たいていの主要アプリに瞬間アクセスできます。ベンチャー企業にとっては、国民的SNSに組み込まれることにより、アプリの開発、宣伝コストが抑えられ、成功のチャンスが大きくなります。
アント・フィナンシャルは、急いで後を追いかけます。2017年9月に独自のミニプログラムをオープンしました。しかし「小程序事業部」の発足は翌年9月と、テンセントに大きく出遅れました。
このように2014年の紅包から2016年のミニプログラムにかけて、Alipayは、WeChatPayの攻勢に押されていました。そして両者は競争する過程で、アプリにあらゆる生活シーンを取り込んでいきました。スーパーアプリの誕生です。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
中国ではほとんどのモバイルユーザーがAlipayとWeChat、双方をダウンロードして使い分けています。競争は、互いにどちらかを打倒する、といった段階から、共存へ進みました。競争によってより多くの需要をとりこめたからです。今は、どちらがユーザーにより多くの時間を消費させるか、個々のサービスごとの争いです。強力なライバルの存在によって、スーパーアプリ2強体制を確立しました。いかにライバルが大切か、よくわかります。
今後の戦略、ハイテク輸出
アント・グループは今後のキーとして“BASIC”を挙げています。Blockchain、AI、Security、IoT、Cloud computing、これら5つの研究対象の頭文字です。ここまでくると、ハイテク企業の戦略目標ですね。実際にハイテク企業を目指し、技術の輸出まで構想しています。アント・グループは決済事業から、金融事業へ、さらに生活総合サービスからハイテク企業へ進化しようとしています。これこそアント・グループへ改称した理由でしょう。
今後の中心戦略はブロックチェーンです。オープンプラットフォームを公開し、中小企業の参加を呼び掛けています。これは中小企業にも大企業と同じサービス、公平な環境を提供する、というアリババグループの理念に沿ったものです。しかし、これらハイテク部門では、テンセントという分かりやすいライバルだけにとどまりません。GAFAを筆頭に、世界中すべてのハイテク企業と競合します。
〇中島嘉一の核心(革新)ポイント解説
アリババグループ各社の業績は、カリスマ、ジャック・マー退任後も好調をキープしています。堅持している理念、ユーザー指向の公正なシステム構築、を逸脱しないかぎり、大きく崩れそうには見えません。とくにアント・グループはBASIC戦略や投資戦略で、グループの中心さえなりつつあります。IPO後も、世界最先端の注目企業であり続けると見てよいと思います。