知っておきたい中国人の日本企業イメージ、就職人気は健在?
日本の名目GDPは1990年代から5兆ドル前後で、ほとんど停滞している。この間、中国のそれは1991年の4156億6000万ドルから、2018年の13兆4074億ドルへ32倍に激増した。史上まれに見る高度経済成長の時代だった。
この30年間、日本企業は、中国に何をもたらし、現在はどう見られているのだろうか。歴史をなぞりつつ探ってみよう。
日本企業の中国進出
中国の改革開放政策は、1979年に始まり、天安門事件を経た1990年から加速する。上海市では、後に首相となる朱鎔基市長が、孤軍奮闘、外資誘致の環境整備に全力を挙げていた。その甲斐あって日本企業も続々と進出を果たす。
中国進出は、中国人スタッフによるサポートが欠かせない。行政の許認可にしろ、輸出入申請にしろ、人脈社会の中国では、ツボをはずしてしまうと、業務は一向に前進しない。
独特の慣習もあった。例えば税務局の人間は、外資であろうと国有企業であろうと、財務担当者を自分の部下のように扱っていた。税務研究会と称する合宿を開き、企業から参加費を徴収するなど“乱収費”が当たり前の世界だった。これらに対抗しつつ、不利益を被らないようにするには、優秀なスタッフに頼るしかなかった。
当時、中国人の日本語通訳は少なく、日本商社は、日本人の中国語通訳を自前で準備していた。需要拡大に追い付かず、彼らは重宝された。しかし10年後、情勢はガラリと変わっていた。独学で日本語を学んだ若い中国人たちが、対日ビジネスの最前線に立っていたのだ。どこから現れたのか?と思うくらい増殖した。彼らは、対日ビジネスの潤滑油にして牽引車だった。日本語力を武器に独立、起業して成功を収め、業界の重鎮となった人も多い。
日本企業は人気の就職先に
日本人は、どこにいても守るべきルールや規範はあり、それを尊重すべきと考える。この姿勢は、何事も交渉での解決を基本とする中国人には、堅苦しい。一方、当局や取引先に無茶ぶりをされても、法令順守の姿勢を貫く姿は、誠実とも映った。
従業員側からの評価は高い。福利厚生に優れている。とくに休暇の取得は万全だ。産休はしっかりとれるし、その前後における不利な扱いもない。一人っ子政策時代には、望まぬ2人目の妊娠をした場合の連続休暇規定(地方による)もあった。これも規定であれば順守する。女性には理想的な職場環境を提供していた。
ときに契約更改の場では、あらゆる手段を駆使して、はげしく賃上げ求めてくる。しかし終われば一切後遺症は残さない。恵まれた勤め先であることは、本人が一番よくわかっているからだ。
日系企業にかつてのステータスはない
かつて、某日系有名電気メーカーの中国工場では、日本人社長1人と200人の工員の労働コストが同等だった。そして製品は世界の最先端だった。それらの工場も今は、中国大手の鴻海や美的、ハイアールに吸収された。あこがれだった日本メーカーの家電製品は、21世紀に入り、すっかり中国製に置き換わった。それどころかIT関連部門の多くは、もはや中国の産業レベルが日本を上回っている。
その21世紀、日中関係は、前世紀より悪化した。2005年には、小泉首相の靖国参拝を機に、反日機運が強まり、一部のデモは暴徒化した。ピークは2012年の尖閣デモだった。日系企業の破壊を伴う、激しい暴動だったが、これを境に反日エネルギーは、急速にしぼむ。訪日客、日本好きリピーターは激増し、中国官製メディアの日本非難も、目に見えて減少した。交流の増加によって関係が落ち着くという、望ましい状態である。
日本企業にもはやかつてのあこがれやステータスはない。ただし、21世紀入りしても、日系企業は、基本的に品位を保った事業活動と振舞いにより、まだ高い就職人気は維持している。
ただし、最近の日系企業は、むしろジャッジの遅さが、世界中で際立つようになり、世界のビジネス界から取り残される傾向が出てきた。この先も人気企業でいられるかは、まもなく明かとなるだろう。