“日本の人権”と“中国の人権”に違いはあるのか
日本では2017年6月に「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が成立しました。その際には「監視カメラと人権」の問題が議論されましたが、中国では常に監視カメラにより全国民が監視されています。“日本の人権”と“中国の人権”に違いは有るのでしょうか。
日本での“人権”
“人権”とは何でしょう。広辞苑では「人間が人間として生れながらに持っている権利。実定法上の権利のように自由に剥奪または制限されない。基本的人権(人間として当然もっている基本的な権利)」とされています。法的には「政府が制定する法律に支配される以前の状態で保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利」として用いられている場合と、「憲法が国民に保障する自由及び権利(基本権)」の同義語として理解される場合もあります。これを筆者なりにまとめてみると「人間が生まれながらに身につけ持っている社会的権利」ということでしょうか。この「社会的権利」の解釈のしかたによって捉え方も変わるわけです。しかし、これは「日本」という国家の中すなわち「日本国憲法」の下での話であり、この“人権”という概念が全世界に通用するのでしょうか。
ノーベル賞と人権
ノーベル平和賞が授与された著作家で元北京師範大学文学部講師の“劉暁波”氏は、民主化運動を始め人権活動に参加し、中国政府によって逮捕監禁された後に解放されることなく病死しました。中国政府はノルウェーのノーベル賞委員会に対し、「劉暁波に授与すれば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と圧力をかけていましたが、しかしながら委員会は圧力に関わらず授賞を決定し、ノーベル賞委員会の委員長はノーベル平和賞授与の理由について、「今、中国での人権抑圧に目をつぶれば、世界での人権の基準を下げることに直結する」と述べ、中国に人権の改善を強く求めたのです。このようなことから“人権”という概念は世界共通のものとも思われますが、実際にはどうなのでしょう。
中国の実態
中国は“中国共産党”による一党独裁制国家であり、中国人民解放軍も党の軍隊です。そのため党にとって好ましくない人物の人権は、軍隊まで動員して蹂躙(じゅうりん)されており、まさしく人権蹂躙です(※ここで言う“人権”とはあくまでも日本の視点での人権です)。特に近年は、中国の急速な経済発展とともに人権の保護を求める国民が増えているといわれます。中国政府は検閲による情報操作を行っており、政府にとって不利益があると認識した報道を規制し、グレートファイアーウォール等の検閲システムで反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するウェブページを閉鎖、または回線を切断させる処置をとり続けています。さらには国民すべてが監視下にあるのです。日本では憲法の下で「表現の自由」により堂々と政府批判を行っていますが中国では取り締まりの対象となります。中国の警察は中国政府や中国共産党を非難する者に対しては速やかに逮捕し、密かに拷問での自白強要を行っているとも言われます。また、司法も裁判所の制度も日欧米の諸外国と大きく異なっており、死刑の場合は判決後数日以内に決行されるケースが多く、控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できる例はわずかだといいます。日本では全国民に人権はありますが、中国では中国共産党の一党独裁制という大前提のもと「中国共産党に忠誠をつくす者」にのみ“人権”ということばが当てはまるのでしょうか。
中国の人権活動家“陳光誠”氏が来日
中国出身の盲目の人権活動家、“陳光誠”氏(自宅軟禁から逃れ2012年に渡米)が初めて来日し、全国8カ所で講演会を開催しました(アムネスティ記事)。
東京都内で日本経済新聞の取材に応じた陳氏は中国での人権を巡る状況について「悪くなる一方だ」と述べ、「日本に解決に向けた関与をしてほしい」と語ったといいます。陳氏は現在の中国について「ここ数年は悪くなる一方だ。共産党が社会の様々な方面で支配を強め、知識人や法律家を自宅に軟禁したり旅行を制限したりしている。党は人々に奉仕するのではなく人々をコントロールしている」と言い、また「党が重視する法律というのは、彼らが自ら制定し利点のある法律だけだ。民衆にとって良い点などない。自由主義国家が重視する法律とはまったく意味合いが異なる。党大会の内容は2点だけだ。党がどのように権力を分配し、どのように人民を支配するか。それ以外のものはない」と述べています。そして日本に期待することとして「日本は世界有数の経済大国であるだけでなく『人権大国』でもある。ただ現状では世界の人権問題に対して意見表明や解決への協力は多くないと感じる。日本は大国として人権問題に関与する責任もあると考える。例えば中国の人権問題に関わることで、これまで日本が歴史的に中国の人々に与えてきた印象を好転させることにもつながるのではないか」と語りました。
中国における人権とは
中国の国務院は、1991年11月に「中国の人権状況」と題する、いわゆる「人権白書」を発表しましたが、従来、中国では人権という用語自体がほとんど使われていませんでした。歴代の憲法はもちろん、現行憲法である「1982年憲法」の条文においても第2章「市民の基本的な権利と義務」と言ったかたちで「人権」ではなく「市民の基本的な権利」と規定しており、その他の公式文献においても通常は「人民の民主的権利」という表現が多用されてきたのです。1980年代後半までの中国においては、人権について論ずること自体がタブーとされ、2004年の改正前は人の普遍的権利としての「人権」という用語を用いることはありませんでした。しかし、この改正により「国は、人権を尊重し、保障する」(第33条)とし、初めて「人権」の文言が憲法上明記されたのです。ただし、この改正後も第2章のタイトルは、「市民の基本的権利」となっており社会主義憲法特有の社会主義的基本権の理念が維持されています。特に「いかなる市民であれ、憲法および法律が定める権利を享有し、同時に必ず憲法および法律が定める義務を履行しなければならない」(第34条第4項)として義務の履行を強調し、またその前提として「いかなる組織ないし個人も社会主義体制を破壊することを禁止する」(第1条第2項)と定められています。
日本と中国の違い、日本にできる事は?
前述した陳氏の“日本に対する期待”に対して何ができるのでしょうか。日本と中国では「自由主義国家」(※1)と「社会主義国家(共産主義)」(※2)の違いがあり、根本的に主義・主張が異なります。
※1:自由主義とは、国家や集団や権威などによる統制に対し、個人などが自由に判断し決定する事が可能であり自己決定権を持つとする思想・体制・傾向などを指します。
※2:社会主義とは、個人主義的な自由主義や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制で、共産主義は政治や経済分野での思想で財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざすものです。
アジアにおける社会主義国は「中国」「北朝鮮」「ベトナム」「ラオス」「インド」などがありますが、中国・北朝鮮・ベトナムの3国が憲法に「社会主義」、「独裁」、「党の指導」を明記しています。“人権”はそれぞれの国の憲法の下に存在しているわけで、「独裁」、「党の指導」の明記といったことからみると、人権に対する概念が日本とは全く違ったものになっているように思えます。その点を考慮すると人権状況を改善すべく中国政府に働きかけるのは国政について論じるのと同じで非常に難しいのが実情です。中国でオリンピックが開催されるときにオリンピックに関する公約の中で、国際社会と一緒に「報道の自由」を働きかけるのが精一杯なのでしょうか。2018年は「日中平和友好条約」締結40周年であり、経済協力の側面からもう一歩進んだ対話ができればよいのですが、はたしてどの様に結び付けることができるのか難しいところです。
以上、人権問題にスポットをあてましたが、日本には「法務省人権擁護局」そして「公益財団法人 人権擁護協力会」や「公益財団法人 人権教育啓発推進センター」「人権啓発活動ネットワーク協議会」といった機関があり、国際社会の一員としては世界最大の国際人権NGO“アムネスティ・インターナショナル(国際人権救援機構)”の支部である「アムネスティ日本」があります。やはり中国の人権問題に対してはアムネスティを通じて国際社会の一員という立場で対話していくしかないのでしょうか。
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